摂食障害治療における温度差
2013年11月18日私が医者になり、摂食障害治療に携わったときに最も行き詰まった気持ちにさせられたのは、医者の求めているものと摂食障害の人が求めているものとの温度差でした。
それは今も感じます。
先日、参加した日本摂食障害学会で、ある演題を聞いていると、体重の回復具合だけで改善だとか、著明改善だとか述べています。
体重が回復すればそれが本当の改善だと思っているのでしょうか?
摂食障害の人は医者が発表する著明改善という言葉を聞いて、その通りだと思うのでしょうか?
一方、摂食障害当事者の会に参加してみると、彼らは体重のことなどほとんど話題にしません。
彼らが求めて、話題にしているのは
「自分たちのことを理解してくれて、受け入れてくれる居場所」
「自分の存在が認められる居場所」
なのです。
もちろん、摂食障害の人には「病識が乏しい」という問題があります。
病気の自己が認知の歪みをもたらし、低体重であっても「普通だ」「太っている」と思い込んでしまうという問題があります。
低体重がもたらす問題は死亡する可能性も含め、とても大きな問題であり、治療的に絶対に向き合わざるを得ない問題です。
しかし、誰のための治療でしょうか?
摂食障害の人のための治療です。
そうであれば、彼らの求めているものに心を向けない治療など本当の治療ではないような気がします。
摂食障害の治療は、心と体の治療です。
医学的に体の危機から守らなくてはならないのは当然ですが、その根源にある心の問題に目が向けられていない治療はザルのようなものです。
仮に強制的に体重を増やしても、水がザルを通り抜けてしまうように、体重はすぐに落ちてしまいます。
入院治療で一時的に体重が増えただけで著明改善だと思っているような治療は本当の治療ではありません。
中には体重が回復するだけで心も落ち着く人もいますが、現実には多くの人たちが治療からこぼれ落ち、治らないという道をたどっていくでしょう。
大切なのは摂食障害の人の心を見つめる治療です。
摂食障害の人の心を理解し、居場所を与えてあげることです。
そして、食や体型へのこだわりに代わって、幸せを感じられる心を引き出してあげることです。
「完全に治ったなあ」と思われる人がよく語る言葉。
「まわりの人はいい人ばかり」
「感謝しています」
「本当に幸せです」
こうした瞬間を目指して、摂食障害の人の本当の自己の心に寄り添い、ともに病気の自己と戦い、あきらめずに困難な道を歩んでいきたいと思います。