情熱しかない
2014年04月03日拒食症に人を見るといつもその人のこの先の人生がどうなっていくのかが見えるような気がします。
病気には病気の心の法則があります。
ですから、その心を見つめるとその先が見えるような気がするのです。
これは拒食症の治療で問題とされている体重だけを見ていては決してわかりません。
一般的には、体重が低くなると心の状態も悪くなりますが、体重が低くても心の状態はさほど悪くない人もいれば、ある程度の体重があっても心の状態はとても悪い人がいます。
問題はその心の状態にあるのです。
心を見つめなければなりません。
先日もこんなことがありました。
拒食症になって2年ほど経過した15才の女の子なのですが、体重だけを見ると150㎝台半ばの身長に対して30㎏台後半の体重があります。
低体重ですが、体重だけを見ればさほど重症ではありません。
しかし、食事のとり方や問題行動を見ると、かなり病的な行動に支配されています。
さらに診察時には、最初は取り繕った表情を見せていましたが、話しているとその心はほとんど閉ざした感じで、相手の言葉を聞き入れる余地が感じられません。
「別にこのままでかまいません」といった感じです。
これでは漠然と通院治療を行っていても、徐々に病気が進行するのは明らかです。
体重が落ちるのも時間の問題ですし、このまま見過ごして治療が長引けば長引くほどに治る可能性が下がるだろうと思います。
しかし、今、治療を受けている病院では体重が落ちなければ入院の対象にならないとのこと。
では、通院治療でどこまで支えられるのか、どれだけの手を打っているのかと思うと、「調子はどうですか?」と伺う程度の診察のようです。
拒食症の人を見ていると、このようにして治療期間が長引き、徐々に治らない人生を送っていく人が多いような気がします。
現実には、こうした心を閉ざしかかっているような人を治療に導くのは難しいことです。
本人は表面的にはきちんと通院するなど治療に取り組むような姿勢を見せることもありますが、日々の生活においては病気に翻弄されて、それに立ち向かっていく力がありません。
何を言っても言葉が伝わりませんし、実際に低体重になって明らかに重症だという実証を得ないと入院治療に持ち込めないこともあります。
少なくとも本人の意思による入院ではなく、強制的な入院治療を行う場合にはそうなります。
こんなとき、その状況を打破するためには、やはり情熱しかないと思います。
その人の心を見つめ、その人の人生を見つめ、その人に不幸な人生を歩んでほしくない。
そんな目を持っていなければ、情熱は生まれてきません。
情熱を持った関わりは、病気に支配されている人にとってはとても厄介なもので逃げたくなるものです。
そこはすれすれの駆け引きになります。
しかし、拒食症の人の持つ本当の自己の心に情熱をもって呼びかけ、その力を引き出すことによってしか救うことはできない。
私の治療経験からはそんなふうに思います。