どこまで摂食障害の人を抱えるか?③
2014年01月11日本人がある程度の年令に達していて治療に対して抵抗する人をどこまで抱えるか?
これはとても難しい問題です。
私自身、以前はこうした人も抱え込もうとしていました。
命と人生にかかわる病気なのだから何とか救い、本当の自己に目覚めてもらいたいという思いから、本人の治療抵抗が強くても強制的な入院治療などによって抱え込もうとしました。
しかし、振り返ってみるとそうした人たちは通院治療になるとどこかで治療を中断し、治療半ばにして終わっていったのです。
もちろん私自身の力不足の部分もあったように思いますが、どれほど情熱を傾けて話そうとも、相手に変化を及ぼしきれない部分がありました。
なぜだったのでしょうか?
今になると、客観的に彼らの病理を見つめるとわかるような気がします。
摂食障害の人には本当の自己、偽りの自己、病気の自己という3つの自己があります。
その中で治療において最も大きな支障となるのが“偽りの自己”の部分です。
幼い子どもの場合、人生経験も少なく、育ってきた中で作られた偽りの自己の部分はまだまだ小さなものです。
ですから、病気の自己が芽生えて摂食障害になったとしても、行動療法などで病気の自己を取り除く治療を行う過程で、十分な愛情を注ぎ込めば、偽りの自己も自然と縮小してきます。
それとともに本当の自己が目覚めてくると、完全な治癒に導けるのです。
ところが、ある程度の年令になると偽りの自己の部分が大きくなり、人格の一部分となって固定し始めます。
自己卑下、不安、恐怖感、不信などといった偽りの自己が非常に強くなってくるのです。
そうすると、偽りの自己の部分はなかなか取り除けなくなってきます。
そうして、偽りの自己から生まれた病気の自己も持続し続けるのです。
病気の自己の部分はマインドコントロールされたような状態にあり、自己責任を問うことはできません。
だから、抱え込んであげる必要があります。
一方、偽りの自己の部分は厳しいようですが、本人自身が作り上げてきたものです。
育った環境の影響を受けて作られてきたものですが、この部分については各自が自己責任を持たなくてはなりません。
すなわち、ある程度の年令になって治療抵抗のある人の場合、自己責任を問えない病気の自己の部分と、自己責任を問うべき偽りの自己の部分の両方が混在しているわけです。
ですから、難しいのです。
私自身の現時点での見解は、「ある程度の年令に達して治療抵抗のある摂食障害の人は病気の自己だけではなく偽りの自己が大きく存在しており、目の前に生命的危機が迫っているときを除けば、将来的な危険があったとしても自己責任を問わざるを得ないだろう」と思います。
実際、これまでの治療を振り返ると、病気の自己にいくらアプローチしても、偽りの自己へのアプローチの段階になると、本人が拒絶し、治療を中断していきました。
何年が経って「やっぱり先生しかいない。もう一度診てほしい」と来られた方は多くいますが、いずれも一旦は中断し、再び来られてもまた中断するといったことを繰り返しています。
もちろん、見捨てるわけではありません。
しかし、自己責任を問える人に対して無理に抱え込もうとするのはある意味、治療者のエゴかもしれません。
人がどのような人生を生きるかはその人が決めることであり、他人が決めることではありませんからね。
治療者にできることは限りない愛情をもって治療へ導かんとし、そして、本当の自己の目覚めへのきっかけを与えることだけです。
全くそっぽを向いている人に対しては、自分のできうる限りのきっかけを与え、時を待つしかないこともあります。
その間、治療者がやるべきことはひたすらに自分を見つめ、医者として技術を、人として人格の向上を目指し続けるのみだと思います。