【思春期】どのような人間観を持って子どもと接するのか?
2013年11月11日どのような人間観を持って子どもと接するのか?
人の心を見つめるとき、一番大切なのはその人の持つ人間観です。
例えば、本当にどうしようもないように見える子どもがいるとします。
そうした子どもは、自分は自分を肯定しているのかと言うとほとんどの場合、そうではありません。
自分でも「どうしようもないダメなヤツだ」と思っています。
ただ99%ダメだと思いながらも、1%はどこかに希望の光を求めているものです。
そんな子どもにもし、親、教師、あるいは医者などが「本当にどうしようもないヤツだな」とレッテルを貼ったなら、どうなるでしょうか?
まさに、心の奥に灯っていた1%の光を消すことにさえなりかねません。
実際、私も多くのそうした絶望的な子どもたちに出会ってきました。
ある少女は「私みたいな人間は生きていく価値も何もない」と言いました。
ある少女は「やれることは何でもやってきた。夢なんて何もない」と言いました。
ある少年は静かに自殺しようとしました。
そうした子どもと関わるときの大人の自己防衛反応として、“見て見ぬふりをする”ことがあります。
要するに、その子どもの心の絶望を見ないでそれ以上は考えないようにし、意味をなさない表面的な関わりだけを行うのです。
なぜか?
もし子どもの絶望の心を見たならば、大人であっても自らの心が圧倒されそうになるからです。
子どもの絶望の心を見つめ、そこから逃げずに対峙するにはそれだけの覚悟が必要です。
その絶望に対抗できるだけの心が必要です。
その心が、子どものダイヤモンドの心を信じる心です。
どんな子どもであっても、その奥には優しさ、思いやり、誠実、正直、勇気、善に満ちたダイヤモンドのようにきらめく心があります。
ダイヤモンドの心の存在を信じられるか?
子どもの心の奥には、ダイヤモンドの心があるという人間観を持てるか?
そうした人間観こそが、子どもの心の光を引き出すのです。
絶望の淵にいた子どもに対して、絶対にダイヤモンドの心があると信じ、決してあきらめずに関わり抜いたその結果、鮮やかに彼らは変わりました。
別人のように、前向きな人生を生きるようになりました。
ダイヤモンドの心を信じる関わりだけが、絶望の淵にいる子どもに光をもたらす可能性があるのではないかと思います。
最後に最も大切なのが、この人間観であると思います。