コラム
拒食症の重症度とは?
2014年02月06日
拒食症の重症度とは、何によって判断されるものでしょうか?
一般的は、生命的な危険性の有無です。
・ 短期間における急激な体重減少とそれに伴う低体重が認められる
・ 標準体重の60%を切るような著明な低体重が認められる
・ 低体重(低栄養状態)に伴って肝機能障害が認められる
こうした所見が見られれば生命的にも非常に危険であり、重症であると判断してよいと思います。
生命的な危険があることもさることながら、こうした状態のときには精神的にも病的な自己の支配が強くなり、周囲の言葉がほとんど耳に入らなくなります。
よって、同意を得て治療を行うことが非常に困難となります。
そのまま放っておいてもよくなる見込みはありませんから、本当にその人を一時的に強制的な治療で救うことが必要なこともあります。
ただ、ひとつ知っておいてほしいことがあります。
著明な低体重と病的な自己の強さはかなり相関関係がありますが、100%比例しているかといえばそうではありません。
非常に稀ですが、著明な低体重にありながらこちらの言葉が伝わり、治療を行うことができる人がいます。
一方、ある程度の体重があっても病的な自己に強く支配され、全くこちらの言葉が入らない人がいます。
こうした人は、生命的危険性はなくても治る可能性において極めて厳しいものがあります。
その後の人生も摂食障害に支配され続ける可能性が高いという点では非常に重症です。
一般に、摂食障害の人には本当の自己と偽りの自己があり、その偽りの自己が病的な自己を生み出し、病的な自己が本当の自己を覆い尽くしているような状態にあります。
しかし、摂食障害を長く続けていると、病的な自己から生えてきた根が心の奥にある本当の自己の中に浸潤し始めるようなことがあります。
そうすると、病的な自己の部分と本当の自己の部分を区別することができなくなり、病的な自己を剥がしとって本当の自己を目覚めさせるような治療ができなくなります。
私自身がかつて関わった人の中にもひとりかふたり、こうした人たちがいます。
入院治療という枠組みの中でしか治療を進めることができないレベルにあり、私の手から離れてしまいましたが、未だに摂食障害に苦しみ続けています。
何とかしてあげたいのですが、今はただただ祈ることしかできません。
重症度には、生命的危険性という視点があります。
ただその心を見つめたならば病的自己の支配の強さに基づく治療の困難性という視点があり、重症度はこうした二つの視点から判断する必要があるように思います。
拒食症治療を始める前の約束③~「最低週1回の診察を」~
2014年02月01日
治療を始めるにあたって3つ目の約束は「必ず週1回は診察に来て下さい」です。
なぜ週1回の診察を受けなければならないのでしょうか?
本気で治療に向き合おうとしているならば、本人たちにはわかるはずです。
診察を受けて「よし、頑張ろう!」という気持ちになっても、家に帰ると数日もしないうちに「でも、やっぱり怖いし…」という病気の自己の思いに襲われ、元の状態に戻ってしまうということを…。
診察はそれをリセットする場です。
わかりやすく述べると、「本当の自己<<<病気の自己」の状態を、何とかして「本当の自己>病気の自己」のレベルに持ち込み、治療に取り組めるような状態にするのが診察なのです。
診察後は1日でも長く「本当の自己>病気の自己」の状態で治療に取り組んでもらい、もし「本当の自己<病気の自己」になれば再びリセットする。
この繰り返しです。
もしリセットできないような診察であれば、診察の意味はかなり低いかもしれません。
その場合、摂食障害を治すことは非常に難しくなるでしょう。
重症の人の場合、1日もしないうちに元の状態に戻ってしまうので、週1回の診察でも追いつきません。
しかし多くの場合は、3日前後頑張って元の状態に戻るというパターンなので、週1回の診察でリセットできると徐々に頑張れる力が上がってきて、1週間続けて治療の課題に取り組めるようになります。
1週間後に診察を糧にして取り組めるようになるのです。
しかし、2週間に1回の診察となるとどうでしょうか?
3日頑張っても、残りの11日が病気の自己に支配された状態になります。
そうすると診察では、課題に対してもう一度最初から取り組み直さなくてはなりません。
こうしたことを繰り返していると、いつまで経っても状態は変わらず、前進することができません。
その結果、無力感とあきらめの気持ちに襲われ、いずれ治療を挫折するのです。
よって、通院治療では最低週1回の診察を、重症な拒食症の治療を行う入院治療ではそれ以上の診察を必要とします。
仕事の都合で診察に行くことができない。
遠いから診察に行くことができない。
いろいろと事情はあります。
しかし、拒食症の治療は人生を賭けた治療であり、ときとして奇跡に向かっての挑戦です。
仕事はまた見つかりますが、治療の機会を逃すと、治せる可能性はどんどん消失していくのです。
拒食症治療を行うためには、
『診察を何よりも最優先する』
という意識が必要です。
具体的には、最低週1回の診察が必要です。
そうして初めて治療を成功に導くための舞台が出来上がったと言えます。
拒食症治療を始める前の約束②~「あきらめない」~
2014年01月31日
治療を始めるにあたって2つ目の約束は「絶対にあきらめないでね」ということです。
病気の自己に支配された重症の拒食症の人が病院に辿り着くのは大変なことです。
何とか家族に連れられて病院には辿り着いたものの、全く心を開こうとせず、言葉が心に入らない。
そうした人を拒食症治療のスタート地点にまで導くのは至難の業です。
そして、何とか治療をスタートしたものの治療を最後までやり通す。
これがまた極めて難しいことなのです。
いざ治療を開始しても、先生が全然わかってくれない。
そのために治療を脱落してしまうのは仕方のないことかもしれません。
そうではなく、
「先生の言うことはわかる。しかし、自分にはできない」
そのように思って挫折していく人が数多くいるのです。
客観的に見れば、摂食障害の世界にとどまり続けることほど恐ろしいことはありません。
しかし、一旦その中に入り込むと
「この世界から抜け出すと、あなたには何もなくなるよ」
という病気の自己のささやきに翻弄され、抜け出すことに不安・恐怖感を抱くようになるのです。
そして、その世界からの脱出のためにさしのべる治療者の手を離し、再び摂食障害の世界の中に身を置くようになるのです。
だから、本人の心の奥にある本当の自己に向かって約束するのです。
何度も何度も確認するんです。
「絶対にあきらめいでね」
「絶対に手を離さないでね」
絶対に手を離さないでしがみつくと思ってくれている人との治療はいずれも、最後には実を結んできたような気がします。
そのあきらめない、手を離さないという思いこそが芥川龍之介の語る『蜘蛛の糸』となり、地獄の摂食障害の世界から天にある幸せな世界に導くのだと思います。
拒食症治療を始める前の約束①~「正直に話す」~
2014年01月30日
いざ拒食症治療を始めるにあたっては、いくつかの約束をします。
もちろん、いくら約束をしても破られることはあります。
ただ約束をすることで、心の中に楔(くさび)を打ち込むことができるのは確かなことです。
私が治療を開始するにあたって最初に提案する約束は『正直に話す』ことです。
なぜ『正直に話す』ということを約束するのでしょうか?
現に拒食症になって過ごしてきた人にはわかるはずです。
治療者に「これだけの食事をとるようにしなさい」と言われ、次の診察に訪れたときどんなふうに話すか。
「頑張りました」
「何を?」
「言われたように食べるようにしました」
拒食症の人は病気の自己の行動がばれたくありません(いえ、本当は気付いてほしいんですが、気付かれてしまって病気の自己の行動を制止されるのが怖いのです)。
あるいは、他人に対しては「いい子」でいたい。
治療者に見捨てられたくない。
そんな気持ちから診察でしばしば嘘をついてしまいます。
一番多いのは、部分的に本当のことを言いながら、その中に嘘を混ぜることです。
もし正直に話せる状態にある人がいたら、それだけでもすごいことですね。
この「嘘をついてしまう」という行為は、すべて病気の自己のせいです。
これがわからないと治療者はだまされてしまいます。
それに気がついたときには「なぜ嘘をついたのか」と本人を責めることになり、そこで治療は行き詰まってしまいます。
治療者との関係が悪化し、治療に行き詰まる最も悪いパターンですね。
この場合、本人は悪くありませんよ。
病気の自己の行動を見破れなかった治療者の方に問題があります。
「いかにして拒食症の治療をスタートするか?」で述べたように、治療者は病気の自己のわなを見破らなくてはなりません。
その第一歩が「嘘をついてしまう」という病気の自己の行動です。
このわなに対する防衛線として「正直に話す」ということを約束するのです。
「『正直に話す』ことを約束しましょうね」なんて言葉かけだけではだめですよ。
もっと具体的に話し、安心感をもってもらわなくてはなりません。
「『例えば、次回までにこれだけ食べるように』という話をして、もしそれができなかったとしても、そんなことはよくあることだとわかっています。
もし食べられなかったときそれはだめだけれど、それよりもそのことを正直に話せたことの方をずっと評価します。
食べられなくても、どうしても『食べられた』とごまかしたくなる。
ごまかし続けてもいずれはばれるけれど、それをごまかさずに正直に話せたなら、それだけでも半分病気に勝っていると言える。
だから、『正直に話す』ということだけは守ってね」
こんなふうに話します。
「食べるという課題ができなくても治療者は見捨てない。
そんなことよりもありのままの自分を見せて正直に話すことを評価し、受け入れますよ」
というメッセージを送ってあげることが大切だと思います。
拒食症治療における薬の役割
2014年01月29日
拒食症の治療には薬物療法、精神療法、カウンセリング、食事療法などいろいろありますが、まず押さえておきたいのは薬で拒食症は治せません。
薬で治せるというのなら、治療はどれほど楽になるでしょう。
では、薬を使う必要などないのでしょうか?
極論で言えば、薬がなくても治療に取り組むことはできます。
ただ拒食症治療における薬の役割というのは、自転車で言えば補助輪のようなものです。
最終的に自転車は自分の力でこげるようにならないといけませんが、自転車をこげるようになるには補助輪があった方が助かりますね。
不安やうつがあまりに強いときには、薬を飲むことでましになることがあります。
気持ちが前向きになって頑張ろうという気持ちになれることがあります。
初めて食事に取り組むときにはしばしば吐き気や胃痛をきたすことがありますが、そうした消化器症状もいくらかましにすることを期待できます。
いずれも薬の効果はパーフェクトではありません。
平均的に見ると、2~3割程度ましになるといった感じです。
拒食症治療への取り組みは本当に大変なことです。
そのハードルを超える厳しさは、体験したことのない人にはほとんど理解できないでしょう。
ですから、たとえ2~3割程度でもあっても負担を軽減するというのはとても意味のあることです。
拒食症治療における薬物治療は、根本的な治療としては役に立ちません。
しかし、補助的な意味としては役に立ちます。
治療を軌道に乗せ、成功に導くために有効であると考えられます。