コラム

2013年11月11日

思春期外来とは何か?

ここでは思春期の定義などは述べません。
思春期外来の実際について語りたいと思います。

思春期外来とは、
「思春期の子どもたちを対象に、(単なる病気を超えた)思春期特有の問題について取り扱う外来」
のことです。

思春期特有の問題って何でしょう?

具体的に思春期の心の問題をあげてみますね。
・ 不登校
・ 家庭内暴力
・ リストカット症候群などの自傷行為
・ 起立性調節障害や過敏性腸症候群などの心身症
・ 拒食症や過食症といった摂食障害
・ 解離性障害
・ 統合失調症
・ 躁うつ病
・ 強迫性障害 …などなど。

こうして見ると、不登校、家庭内暴力、自傷行為といった最初の3つは病気でありません。
ひとつの問題行動ですね。
次の3つは、そのほとんどが思春期の年頃に発症する病気ですね。
最後の3つは、いわゆる一般的な心の病気です。

ですから、最後の3つは必ずしも思春期特有とは言い難いのですが、最初の6つが思春期特有の問題であり、思春期外来の対象となるわけです。

ただ最近では思春期の年頃を超えて、20才を超えた青年期になってもこうした問題を抱えている人も多く見られます。
ある意味、思春期の心性を抱えたまま青年期になっている人が多く、問題を引き起こした場合、思春期と同じような治療に取り組む必要があるのです。

さて、心療内科や精神科における一般外来と思春期外来では、取り扱う問題の他に、何が異なるのでしょうか?

これについては、専門家たちは様々な意見を述べられると思います。
ただ私の見解は一言で述べるなら、
“医者の見るべき視点が異なっている”
と思います。
一般外来では病気そのものをみる視点が強く、思春期外来では人間そのものをみる視点が強いのです。
そして、この違いこそが一般的な心療内科医や精神科医であっても「思春期外来はできない」という理由なのです。
医者は病気をみることは学んでいても、人間をみるということについては個人の努力に委ねられており、系統だった勉強ができていないのです。

単に病気だけをみるのではなく、人間そのものをみて、
“その子どもの持つ主体的な力をいかにして引き出すか”
“いかに成長に導くか”
これが思春期外来の本質です。

ときに薬を使い、ときにカウンセリングを行い、ときに教育的な関わりを行う。
そして、子どもだけではなく、ときに親に対しても同様のことを行う。
非常に難しく、多大なエネルギーを必要とし、そして、何よりも医者自身の人格が試される、それが思春期外来です。

ちなみに、私は公(おおやけ)には思春期外来を行っていません。
思春期外来を求めておられる方はあまりにも多く、新患としてはどうしてもという方のみ、週に1~2人だけみさせていただいています。
何とかご要望にはお答えしたいのですが、クリニックの外来は再診の予約がほぼいっぱいの毎日で、みさせていただく数にはどうしても限界があるからです。
現在では、遠くは関東や九州などの遠方から頼ってきて下さる方もおられますが、交通費などの問題もあって通院が難しかったり、あるいは予約がなかなかとれなかったりする方もおられます。
そこで、少しでも何かお役に立てることができればと思い、こうしたブログでその極意を語っていきたいと思い始めたわけです。

 


2013年11月11日

思春期の子どもの心の開き方

思春期の子どもは、いろいろなことに悩み、葛藤します。
そして、ときにそれが問題行動につながることもあります。

そんなとき、多くの親や周囲の人間は、
「どうしてそんな問題行動を起こすの?」
「きちんとやるべきことをやりなさい」
そんなふうに言います。

確かに、そう言いたくなります。
人はまず相手の行動を見て、その人のことを判断します。
本当は行動の背景にある心を見てあげることが大切なことです。
でも、行動の背景にある心を見るなんて、よほどの意識を持った人でなければできません。

また、人は自分の常識的な価値観に基づいて判断します。
物事にはいろいろなものの見方や多様な価値観がありますが、そうした見方や考え方をできる人はごくわずかの人だけです。
さらに、
「どのような価値観を持って関わるのが本当にその人の幸せにつながるのか」
そうしたことを洞察できる人も滅多にいません。
ですから、子どもが問題行動を起こすと、つい最初に述べたような関わり方をしてしまうのです。

けれども、こうした親の言うことは、幼少時ならいざ知らず、思春期に差しかかった子どもには十分にわかっていることです。
十分にわかっているけれども、問題行動を起こしてしまったのです。

であるなら、常識的な価値観に基づいた説教的な関わりは、一度行えば十分です。
それでも変わることなく、問題行動が続くなら、子どもの心を開く関わり方こそが求められます。

子どもの心を開くためには、何よりも子どもを許してあげることです。
問題行動はいけないことだろうし、できるだけやめてほしい。
けれども、そうした問題行動も含めて、一旦、ありのままの子どもを受け入れてあげることです。

ときには「そうかあ」とさほど問題のないように受け流してあげることです。
ときには「思わずやってしまうよね」「それは本当にしんどいよね」と、そのやむにやまれぬ気持ちに共感してあげることです。

そのような対応をとられると、子どもにとってはとても意外に感じます。
「あれっ?あまり問題に思っていないのかな」
「私の気持ち、わかってくれるんだ」
そんなふうに思います。

心を開くために大事なのは、正邪を正す説教ではありません。
「どんなことがあっても、あなたのことを受け入れているよ」
というメッセージです。
それが、子どもの心に基本的安心感をもたらします。
基本的安心感ができれば、その子どもが立ち直る素地ができます。

いろいろな思春期の子どもと関わっていると、
「この子は、本当はとてもいい子なんだなあ」
「どこかできちんと生きたいと思っているけれど、どうしようもできなくなって、問題行動を起こしてしまったんだなあ」
と思います。

そうなのです。
子どもの心の奥にあるダイヤモンドの心の部分。
良き心、やさしい心、真面目な心、そうした心を見つめるまなざしこそが大事なのです。

問題行動の奥にあるダイヤモンドの心を見つめようと思って子どもに関わっていると、子どもから意外な思いを語り始めてくれます。
語り始めてくれたなら、内容がどんなものであれ、その語ってくれる思いに対して共感し、耳と思いを傾けることです。

こうして多くの思春期の子どもが心を開き始めてくれるのです。

 


本当の自分に目覚め、幸せに生きるダイヤモンドの心の医療