コラム

2013年11月11日

人をほめる力④

人をほめるのに必要なのは、
「当たり前のことをほめる力を持つ」
ことであり、
「本当の自分への目覚めに対して、ほめてあげる」
ことです。

そして、最後にもうひとつだけお話しておきたいのは、
「小さなプラスの価値を感じ、小さなプラスを見つけられる目を身につける」
ということです。
これは最初に話した「当たり前のことをほめる力」に通じるものがあります。

以前の病院で「統合失調症」という病気の人に
「毎日こうして生きて過ごしているだけでもよく頑張っていると思うで」
と話すと、普段は表情を見せることのないその人が笑みを見せてくれたことがあります。
普通の人にとっては、生きているなんて当たり前のことかもしれません。
しかし、「統合失調症」という病気にかかって仕事や家事など普通のことさえなかなかできずなくなって過ごしている人にとって、生きるということは大変なことです。
普通の人にとっては小さなことであっても、その人にとっての生きているということへの価値を感じられる目。
そうした小さなプラスを見つけられる目が大切ではないかなと思います。

それは子どもでも同じですね。
例えば、引きこもって過ごしている子どもがちゃんと朝は起きている。
あるいは、家事を手伝っている。
引きこもっているのだから、朝にきちんと起きるくらい当たり前。
あるいは、家事を手伝うくらい当たり前。
そう思うかもしれませんが、それは決して当り前ではありませんよ。

多くの子どもは、引きこもると昼夜逆転の生活になります。
ゲームばかりやって、家事など一切しない子もたくさんいます。
そんな中で、きちんと規則正しい生活をしている。
さらに家事まで手伝っている。
見方を変えると、これはすごいことですね。
だから、こんなふうにほめて、その子のことを認めてあげます。
「朝ちゃんと起きているのはすごいね。
その上に家事までやっているなんて十二分じゃないかな。
普通はなかなかできないよ。
すごいな。
それだけできているなら、今はそのままで十分にいいと思うよ」

本当に小さなプラスの価値を認められるようになれば、その小さなプラスを大きくほめられるようになります。
『小さなことを大きくほめる』
ほめられた本人が意外に思うほどに大きくほめてあげることが大事ですね。
本人が感じているくらいのほめられ方では心には響きません。
本人も思っていないほどに大きくほめられたときに心は動くのです。

『小さなプラスを見つけて、そのプラスの価値を知って、大きくほめる』
これが人を育てるためのほめる力ではないかと思います。

 


2013年11月11日

人をほめる力③

子どもの心を見つめ、
「本当の自分への目覚めに対して、ほめてあげる」
とはどういうことでしょう?

まずは、以前に『どのような人間観を持って子どもと接するのか?』『子どもの心を見つめる』のコラムで述べた「本当の自己(=ダイヤモンドの心)」と「偽りの自己」について、振り返っていただければありがたく思います。
人の心の中には、「本当の自己(=ダイヤモンドの心)」と「偽りの自己」があります。

例えば、笑顔ひとつとっても、周囲に気に入られようと思って無理に作っている笑顔であれば、その心は「偽りの自己」の状態にあるので、本人の心の中にはしんどさがあります。
一方、いつも疲れ切ってゆううつな表情をしていた人や、全く表情のなかった人が少しずつ元気になって、ふと笑顔を見せるようになったとき、その笑顔は「本当の自己」の心から出てきた笑顔なんですね。
だから、ほめるんです。
「最近、笑顔が出てきたね。
そうした笑顔が出るようになってきたということはとてもいいことだと思うよ。
あなたがそうした笑顔でいると、まわりの人もきっととてもうれしいし、しあわせだと思うよ」

不登校の子どもが友達と遊んでいるときもそうです。
「学校も行かないで遊んでばかりで、遊びに行けるくらいなら学校に行きなさい」
なんて怒ってはダメなんですね。
子どもが友達と生き生きと遊ぶ姿は「偽りの自己」の姿ではなく、「本当の自己」の心から出てきた姿です。
だから、その「本当の自己」の心を認めてあげて、
「友達と遊んで楽しかったのならよかったね。
そうやって楽しいと思えることがあるのはとてもいいことよ」
とほめてあげるのです。

そうすると、子どもも安心します。
その心の余裕が
「もうちょっと頑張ろうかな」
「もう少ししたら、学校に行ってみようかな」
という気持ちを引き出すのです。

子どもを育てるほめ方というのは、親の価値基準でほめるのではなく、
「本当の自分に目覚めた言動に対して、ほめる」
ということなんですね。
子どもの心の中にある「本当の自己」と「偽りの自己」を知って、その心を見つめる。
そのまなざしがとても大切なんです。

 


2013年11月11日

人をほめる力②

人を育てるのに、ほめるってとても大事なことですね。

でも、ちょっとむずかしいところもあります。
それは子どもの何を見て、何を基準にほめているかってことです。

いいことをしたらほめる。
勉強や運動を頑張ったらほめる。
お手伝いをしたらほめる。
全部ほめていいことです。

ただそのほめる親の心に、『基本的安心感の重要性』のコラムで述べたような
「無償の愛で子どもを受け入れる心があるかどうか」
それが大事なことです。

親の価値基準だけでほめて、その価値基準を満たさない“できの悪い”子どもは受け入れられない。
そんなメッセージを送ると、子どもは
“いつも親の顔色をうかがってばかりのいい子”
になってしまいかねません。

それを防ぐには、『基本的安心感を育てるには?』のコラムで述べたように、
「失敗をしてもいいんだよ。
ダメなあなたでも大切な子どもなんだよ。
ただあなたがいいことをしたり、頑張ったりしたりして、あなたが生き生きとしていることがうれしいことなんだよ。
だから、ほめているんだよ。
ときには無理をしないで、失敗をしたり、ダメだったりしてもいいんだよ」
というようなメッセージをときどき送ってあげることです。

このように子どもの心を育てるほめ方というのは、必ずしも親の価値基準でほめることではないということを知ってほしいと思います。

いつも述べるように、大事なのは『子どもの心を見つめる』ことです。
子どもの心を見つめ、その心の中にある
「本当の自分への目覚めに対して、ほめてあげる」
ことが大事なんです。
そうすれば、その本当の自分の心が育ち、それぞれの個性に応じた生き生きとした生き方をするようになってきます。

 


2013年11月11日

人をほめる力①

人を育てるには、心から認めてほめることが大事です。
「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」という言葉にもありますね。

では、どんなふうにほめるのか?
まず
『当たり前のことをほめる力』
を持つことです。
これは意外に誰もできていませんね。

そうしたことができるのは、普段から感謝する心を持っている人です。
あるいは、人間の本当の自分の心(ダイヤモンドの心)とは何かということを知っていて、その心を見つめる目を持っている人です。
こうしたことを意識していなければ、当たり前のことをほめるということは意外にできないものです。

夫婦であれば、ご主人が毎日仕事をしていること。
「いつも本当によく頑張っていると思うわ」
「きっとあなただから頑張れるんだわ」
奥さんが毎日家事をしていること。
「外食と違ってこうして家でご飯を作ってくれると、とても体が楽だし、ありがたいな」
「今日も掃除をしてくれたんだね。こんなふうにきれいだと、とても気持ちがいいね」

不登校や引きこもりといった問題を起こしている子どもに対しても同じなんですね。
学校に行かないことを責めるのではなく、たまに学校に行ったなら、
「今日はよく行けたね。
本当はとてもしんどかったんじゃない?
今日一日行けたということだけでもすごいと思うよ。
それで十分だよ。
またこれからも行けたらいいけれど、無理しないようにね」
と言ってほめてあげる。

学校に行くということはある意味、当たり前のことですね。
でも、その当たり前のことをするのにその人がどんな思いで、どれほど頑張っているかということに心を馳せることです。
そうすると、心から「よく頑張っているよなあ」と認める気持ちになり、ほめてあげることができるわけです。

当たり前のことを当たり前だと考える常識を外してみることです。
そして、もう一度ゼロベースから当たり前のことを頑張っているその価値に目を向ける。
それをほめてあげる。

人はほめてもらうと、自らさらに頑張ろうという気持ちになります。
ほめることによって、その人の心の力が引き出されるわけです。

 


2013年11月11日

人はどのように育ててほしいか?②

子どもに限らず、人を育てるにあたって大事なことは、
『その人を認めてあげる』
ことではないかなと思います。すなわち、ほめてあげる、
『心からの言葉でほめてあげる』
ことですね。

人はときとして、何が正しいかということを教えてもらうこと以上に、自分を認めてもらうということを求めています。

例えば、私はまだ「下手の横好き」といった感じで、ゴルフのレッスンを受けています。
あるコーチに教えてもらうとき、そのコーチはとても的確なことを言ってくれます。
ただ話し方がちょっと厳しいんですね。
「それでは全然あかんわ。
普段、練習してへんやろ。
ラウンドをまわる前だけ練習しても、うまくならへんわ。
うまくなりたいんやったら、いつもここに来て、ずっとこれだけ練習しとくことや
そうしたことをせな、うまくならへんわ」
まあ確かに言っていることはわかるんですね。

ただ、私の人生で大事なのは仕事ですからね。
ゴルフはあくまで余暇のひとつにすぎませんし、シングルプレーヤーを目指しているわけではありません。
ですから、そこまでの時間をさけないわけです。
そうした事情に心を配ることなく、このように教えられると、何となくですが、自分を否定されているような気持ちになってしまいます。
そして、「うーん、何となくレッスンをやめようかなあ」なんて気持ちにも駆られるわけです。

ただ一方、そこにはこんな別のコーチもいます。
そのコーチはよく「いいですね」「悪くないですね」と言うんですね。
その上で、「ここをこうしたら?」と教えてくれます。
もちろん、その教えてくれるポイントは先程のコーチと同様に的確です。
ただその話し方がいい。
まずほめてくれるので、ちょっと上機嫌になります。
その上で教えてくれるので、やる気が出てきます。
例え、その日にうまくならなくても「今日のレッスンはよかった」という気持ちになります。
さらに、やる気も出てきているので、「レッスン以外でも何とか時間を作って自分の出来る範囲で練習をしよう」という気持ちになります。
その結果、いつまでたってもうまくならなかった壁をようやく乗り越え、うまくなりそうな兆しが見え始めました。
まあ、私が単純なのかもしれません。
ただこうした法則は多くの人の心にも働いているんじゃないかなって思います。

基本的に、人は認められると気分がよくなります。
ほめてもらえると気分がよくなります。
ほめる人に心から認める気持ちがあれば、それは『人を動かす力』になります。
人は、自分を認めてくれる人の言葉は聞こうという気持ちになります。
その気持ちはいずれ必ず行動につながり始め、その人を変えていく力につながっていくのです。

 


本当の自分に目覚め、幸せに生きるダイヤモンドの心の医療