コラム

【うつ病】うつの人の世界観-「うつ病への対応①」-

2013年11月11日

うつの人の世界観-「うつ病への対応①」-

うつ病の人の見ている世界がどのような世界か、みなさんにはおわかりでしょうか?
一言にうつ病と言っても人それぞれであり、重症度によってもいろいろなので、ここではひとつの典型的なうつ病の世界観を述べたいと思います。

うつ病になるとゆううつな気分になりますが、このゆううつさは言葉には表現出来ません。
頭のまわりに大きな雲が覆っているような、耐えがたいゆううつさです。

かつて自分の中に情熱ややる気というものがあった。
けれども、そんなものは一体どこから生まれてくるのだろうかと思えるほど、何もやる気が起こらない。
生きている感じが全くしない。

全てのものが色褪せ、目の前にテレビ番組が流れていてもそこに何かがあるというだけで何も頭には入ってこない。
むしろそのテレビから流れてくる声や音が異様にうるさく感じられ、胸を締め付ける。

ああ、体は何と重いのだろうか。
階段を一段上がることがこれほどに重く感じられるなんて、まるで体中に鉛をつけているような気さえする。
もう一歩も動けない。
家の中で少し移動することさえも苦痛に感じ、風呂などとても入れない。
風呂に入ることがこんなにエネルギーのいることだと初めてわかった。

誰とも話したくない。
友達であっても、あるいは家族であっても、それらの人たちが私を思ってくれるのがわかっても、私の心を理解することが出来ないなら、その人と話すことはただ苦痛なだけ。
仮にもし自分の心を深く理解し、侵襲することなく話をしてくれる人がいるならば、その人とだけは話をしてもいい。
そんな人はいるのだろうか。

外の天気は晴れているのだろうか。
もし外が晴れ渡り、そよ風が吹き、春であれば桜の花びらが舞っていると、普通の人であればうっとりと大きな幸福観に包まれるだろう。
しかし、うつの人間にとってこれほどに苦痛な景色はない。
何と鬱陶しいのだろう。
うつの人にとって落ち着くのは曇りであり、雨である。
いや、いっそのこと嵐にでもなり、落雷がとどろけば少し落ち着いた気持ちになるかもしれない。
不思議だけれど、それが本当。
それはその天気が自分の気持ちに一致しているから。
人は気持ちに一致した天気に安らぎを感じるものなのです。
ですから、うつの人にとって晴れ渡った空ほど苦痛なものはなく、そんな日に外出するなど考えられません。

食べることに対しては、食事を目の前にしても何も感じない。
何もほしくない。
口に食べ物を入れてみるけれども、ただ食べ物が口に入っただけ。
味がしません。
自ずと食事量は減り、やせ細っていきます。

夜はぐるぐる、ぐるぐると同じことばかり考え込んでしまい、悲観的になっていきます。
全然、眠れない。
夜中に何度も目が覚める。
朝、何故か目が覚めてしまい、異様な気持ちの重さで布団から起き上がれない。
ある人は寝られないならその間、本でも読めばいいじゃないかという。
しかし、精神的な苦痛を伴った不眠はそんなものではない。
それは体験したものしかわからない苦痛であり、その間に何かをすればといったものではないのです。

ああ、目の前に人がいる。
けれども、遥か遠くにいるように感じられる。
何故だろう。
うつになると、人と心が通じ合う感じを持つことは出来なくなります。
全ての人がどこか遠くにいるように感じ、孤独の底に落ちていく。

この世界には自分ひとり・・・。
そんなとき思わず
「死にたい」
「死んだ方が楽になるんじゃないか」
闇からそんな声が聞こえてきます。
これがうつ病の人の世界です。

うつ病を理解し、うつ病の人を理解するには、まずこうした世界を知ることからその第一歩が始まります。
心を観る医療こそが、心の病の人を救うきっかけを与えることが出来るのです。

 


本当の自分に目覚め、幸せに生きるダイヤモンドの心の医療